落語好き腐女子の酒日記(仮)

落語と酒が好きな腐女子の日記です。

どうして私は落語の映像配信、生配信を好きになれないのかを考えてみた。

※この記事は「何故、落語大好きな私が落語の映像配信を視聴することを好きになれないのか」ということを自問自答して、自分の考えを整理するために書いたもので、生配信を行なっている人やそれに関わる人、観ている人を否定したりする気持ちは一切ないです。

あと今飲んで酔っ払って書いたので日本語おかしかったり矛盾しててもメンゴってことでヨロピク。


世間は大変な状況になりましたね。
仕方のないこととは分かっておりますが、落語会、演芸会中止の情報を見る度に切ない気持ちになります。

そんな中多くの芸人さんがYouTube登録をしたり、落語の生配信をしたりしています。私の好きな落語家さん達もYouTube始めたり、生配信をしてくださったり、こんな状況でもファンに向けて落語を聴く機会を……!本当に素敵なことで、感謝しかないのですが、いざ観ると私はどうも映像の落語(特に古典落語)というのが苦手な様なのです。
落語家さんの雑談やトーク動画は編集されたものでも、生配信でもたまに観てるのですが(推し君の出ている雑談生配信は夜中の2時くらいまでやってるのを眠眠打破飲みながら聴いていたくらい)、落語の演目の配信は、きちんと編集されたものでも生配信でも、どうも苦手なのです。
苦手、というのは笑えないというか…積極的に観ようという気になれないのです。
いや、全く聴いていないという訳ではないのです。
ただ、何でしょう……当たり前ですが生と同じように楽しめないというか……誤解を恐れず言えば、好きな落語家さんでも生配信だとあまり観たいと思えないのです。
もちろん食わず嫌いはいけないと思ってちゃんと観ました。十日間連続生配信の師匠も、推し君の勉強会も、ちゃんと観ました。
でも、ダメでした。
笑えませんでしたし、観るのが疲れてしまい、途中で寝てしまったりしてしまったのです。

私は、落語好きと名乗る資格は無いんじゃないか、と思い勝手に落ち込んだり、生配信でタイムラインが盛り上がっている時話題に入っていけない自分が若干辛くもありました。


そこで何故好きになれないのか考えてみました。

●真正面でやっているから
落語の映像配信、特に生配信ではずっと一定の角度から撮っていることが殆どです。DVDやテレビなどでは編集されて見せ場で顔がアップになったり、横からのカットが入ったりとありますが、生配信では基本定点カメラ(あってる?)で正面から撮っていることが多いです。
私はコミュ障なのもありますが、真正面の前の方、しかも真ん中に座ることは滅多にありません。だから真正面での落語というのにすごく違和感があるというか……。
それに私は落語ではもちろん落語家さん全体を見るのですが、ふとした時に指とか着物の帯とか腹を見るのが好きなのです。だけど、定点カメラだとそうやって自分の好きなように視線を動かせない……それが嫌なのかもしれないです。

● 寄席、落語会の会場そのものが好きだから
私は寄席や落語会の雰囲気は勿論だが、切符を買って入る瞬間、開演前のワクワク感、他のお客さんと空間を共有している感覚が好きです。
また、終わった後、嬉しそうに帰っていくお客さんや、従業員さんの「ありがとうございました」なんて発言を聴きながら帰るのもたまらなく好きです。
当たり前だが家で画面越しではそれができない。
確かにネットで今○人が視聴しています、とかを観ると「この放送観ているのは私一人じゃないんだ」と思ますが、それでも現実では周りには誰もいません。
ネットだと「配信楽しみ」とか書いている人も、落語を聴きながら実況している人もいてワクワク感や楽しんでいるのは伝わってくるのですが、やはりその人の表情をきちんと見たいのです。
確かに某師匠の会の前は開始前から皆でTwitterでワイワイしたり、終わった後も感想を言ってたりするのですが、やはり直接見るのと書いてあるものを読むのではその喜びの伝わり方が違うでしょうし……。

●あまりに気軽に観れてしまうから集中できない。
いや、これは完全に私の問題ですね。
どういうことかと言いますと、寄席や落語会では楽しみが強いですが、ある種の緊張感があります。
それは「物音立てない様にカバンしっかり持ってなきゃ」とか「電源きちんと切らなきゃ」とか「トイレ行っておかなきゃ」とか。
極端な話、演目中にトイレに行きたくなったとします。けど生で観ている時だったら演目が終わるまで我慢しよう、と思うし必死に耐える。
でもスマホから観ていれば、すぐに一時停止できるし、生配信でもトイレに移動して用を足しながらも落語を聴くことができます(スマホをトイレに持ち込むことに対する衛生面の問題はあるけど)。
そんなのお前の意思が弱いからだろ、というお叱りも受けるかもしれないですが、家では私は本当に絵に描いたようなダメ人間なのです。仕事だったら締め切りがあったり、終わらせないと誰かに迷惑かけるから、となるので家でも何とか出来るが、普段は本当にだらだらしています。
だからその緊張感がないところで落語を聴くというのは落語に対して何だか申し訳ない気がするのです。
お酒を飲んだり、ベッドに寝転びながら、のようにだらだらした気持ちで落語の映像(特に生配信)を観るのは罪悪感があってできない、かと言って画面越しで正座して聴くほどの集中力はない……。だから映像の落語を苦手というか、自分がどう楽しんで良いのか分からないのかもしれないです。

じゃあ、お前は生で聴く以外で聴かないのか、と言われるとそんなことは無いんです。
落語のCDを聴くのは好きですし、YouTubeなどで芸人さんが配信している新作落語の音声はよく洗濯物を干したり畳んだらする時に聞いています。
生放送じゃない、映像がない音声のみのものなら他の作業しながら聴いてもセーフという自分の中の謎理論があるのです。(理由は自分でもよく分からない)

ちなみにこの時流しているのは新作落語のことが殆どです。
多分、古典は自分の中でストーリーがわかっているし、生で聴くものだという認識が無意識にでもあるからかもしれません。
逆に聴いたことない演目はなんの躊躇もなく受け入れられる。そんな感じなのでしょうか。
(本当に自分で自分がよくわからないw)


生で落語を聴けない時は、あえて映像は観ないで、何か作業をしながら音だけ楽しむ……。
多分私にはこの楽しみの方が合っているのでしょう。でも生配信の時に他のことをやりながら落語を聴くのは失礼な気がして……。
だから結局観ない、という選択肢をとってます。

むしろ、「生配信はこうやって観ると面白いよ!」とか皆さんの楽しみ方を教えて欲しいです。
いや、ホントに自分勝手な考えだな、私。

 

でも自分ではっきりと思っていることは、当たり前だろうけど落語は生で聴きたい!!ってことです。

まあ、これを言ったら元も子もないし、このご時世で生で演れないから配信してくれてるっていうのは分かっているんですよ!

あああああ!早く寄席で生で落語を聴きたい!!

以上!