前座コンプレックスの話
これらの言葉が浸透してきた現代日本。
今時こういう性癖は珍しくない。
実は隠していたが、私は『前座コンプレックス』である。
略して『前コン』と呼ばせていただく。
『前座』という存在というかポジションが堪らなく好きだ。
自分の惚れた師匠を信じて厳しい修行や稽古に耐える。
それも休みなしで。先輩師匠方に逆らうことは許されない。羽織を着ることは許されない。
なんか、もう、たまらないのだ。
そもそも私は昔から身分差というものが好きだっま。
幼い頃好きな童話はシンデレラだった。
中学時代はメイドとご主人様という設定が好きだった。
高校時代はドSな大企業の社長と金で買われた美少年という設定が好きだった。
そして大学時代、私は落語と出会った。
落語そのものの魅力も勿論だが、落語界の身分制度やしきたりにやられた。
自分の惚れた師匠のところに弟子入り志願をし、師匠の言うことには逆らえない。
また、一日でも早く入門した人はどんなに年下でも兄さん(姉さん)と呼ばなければならない。
完全に私が求めていたものだった。
それから私は落語に夢中になり、寄席やホール落語以外に前座さんの会にもよく行くようになった。
『目標に向かって頑張っている人』というのが好きだからだろうか。
すごく上からな言い方で申し訳ないが、会を重ねるごとに上手くなっていくのも見ていて楽しかった。
何より前座さんの会は安いことが多いから経済的にもありがたかった。
しかし、落語にハマり始めて二年ほど経った時、あることに気付いた。
前座から二ツ目になった落語家さんは一年以内にその熱が冷めてしまうのだ。
いや、昇進が嫌なわけではない。
事実、応援している前座さんは二ツ目昇進初日の高座をなるべく観に行くようにしているし、応援してた前座さんの二ツ目昇進し、真新しい羽織を着てキラキラした目で落語をやる姿に感動し、帰り道喜びで涙を流したこともある。
ただ、二ツ目昇進してから一ヶ月、二ヶ月と経つにつれ段々と思いが冷めていくのだ。
勘違いしないでほしいのだが、別に二ツ目昇進したから嫌いになるわけではない。
二ツ目になって上手くなったら「おおっ!」と思う。でも前座時代のように応援する気持ちになれないのだ。
前座時代は毎月のように会に行っていたのに二ツ目になると『年に何度か聴ければいいや』程度の気持ちになってしまうのだ。
二ツ目になってから一年以上その落語家さんに対する熱が持ったことは残念ながらまだない。今年こそは二ツ目になっても私を益々夢中にさせてくれる、そんな落語家さんと出会えるだろうか。
そもそも私は『前座』としての彼らと彼らの落語を好きだっただけで一人の『落語家』として彼らの落語を好きになったことなんて、あったのだろうか……?
不思議なもので好きになった時に二ツ目だった落語家さんは真打になってもその熱がさめない。むしろ熱が高まる。
自分で自分が分からない。